日本でイノベーションを起こすためには(21)(本編その3 道徳の構造について)

「道徳」をビジネスモデルで復活させる方法についてですが。

 

そもそも道徳がどうのようなもので、どのようにしたら私達の心の中に発生するのかについて、何も知らないのではビジネスモデルに道徳を取り入れることは出来ないといえます。
そこで、まず最初に道徳がどのようなもので、どうやって私達の心の中に発生するのかについて説明しておきたいと思います。

 

道徳は生まれ持って身についているものではありません。
そのため、生まれた後に教わることになるのですが。
まず最初に私達人間が道徳を教わるのは、家族からになります。

 

例えば、家族に小さな男の子の兄弟がいたとして、弟が遊んでいたおもちゃが欲しくなった兄が、弟のおもちゃを取り上げます。すると弟が怒っておもちゃを取り返そうと兄をたたきます。ところが兄も怒って弟をたたき、力の弱い弟は泣き出してしまいました。
これを見ていた両親はどうするのかというと、まず父親が「なんで弟のおもちゃを取り上げるんだ!」と怒り、兄の頭をゴツンとやりおもちゃを弟に返します。
すると兄は、父親に怒られたことにショックを受け泣き出します。
父親は「泣いてないで弟に謝れ!」と言います。
しかし弟はさらに泣いてしまい謝ろうとはしません。
すると見かねた母親が言います。
「お父さん、そのぐらいにして。お兄ちゃんも反省しているから・・・ね、お兄ちゃん、ちゃんと謝ろうか、ごめんなさいって。」
しかし兄はぐずって、まだ謝ろうとはしません。
それを見た父親は言います。
「そうやって甘やかすから、弟のおもちゃを取り上げたりするんだ・・・お前はお兄ちゃんなんだから、弟の手本にならなければいけないんだぞ。弟の物を取ったりしていいはずがないだろ。兄なら欲しくても我慢する。どうしても、そのおまちゃで遊びたいなら、弟に貸してって頼んで遊びなさい。分かったか・・・」
兄は「うん・・・ごめんなさい。」と言って、弟に謝りました。
母親は「いい子ね〜」と二人の頭を撫でてやりました。

 

いっけんどこにでもあるような家族の風景ですが、これが人間が最初に教わる道徳教育になります。

 

では、ここでどのようなことが行われているのか分析してみたいと思います。

 

まず最初に、兄が弟のおもちゃが欲しくなって取り上げますが、これは人間の本能に従った自然な行動だといえます。
しかし欲しくなったからといって、人の所有物を取ってしまったのでは、争いが絶えない社会になってしまいます。
泥棒や強盗、殺人や、戦争ばかりしているような社会では、安心して生活ができません。
そこで私達は、人としてしてはいけない禁止事項を設けます。
人の物を盗んではいけません、むやみに殺生をしてはいけません、嘘をついてはいけません、人の悪口を言ってはいけません、人を妬んではいけません、など禁止事項を設けます。
しかし口頭でこれらのことを伝えても私達は「はいそうですか」と、これらの禁止事項を守ったりはしないのです。
私達人間には本能があり、本能的な感情によって私達は動いていますので、自然状態ではこれらの禁止事項を守ったりはしないのです。
そこで、家族ではどうしているかというと、まず父親が子供にゲンコツや罵倒などで、罰を与えるわけです。
しかし罰だけでは子供は、辛い苦しいと思うだけで、禁止事項を守ろうとは思いません。
この状態の子供の心理としては、自分に辛い苦しい思いをさせる相手から逃れたいと思うだけなのです。ようはしつけだからと叱りつけるだけの家族だと、子供は家族に恐怖を感じるだけで、そこから逃げ出したいと思うだけなのです。
そこで必要とされるのが母親の愛になるのですが。
家族から逃げ出したいと恐怖を感じている子供に寄り添い、かばってやり助けてやろうとするのです。
子供は自分が守られてると思い、かばってくれる母の愛にすがろうとします。
しかし一方で父親が禁止事項を守れと怒り、恐怖を振りまくわけです。
子供は、父親の恐怖から逃れたいと思いながらも、母親の愛にすがりたいと思い。
心の中に、家族に対する離反と帰属という、相反する二つの感情が生まれ、感情的な葛藤を起こすことになります。
そこで父親が、兄というものはこういうものだ。こういった生き方をしなさいと、自分自身を投影するための、兄としての理想像を示すわけです。
葛藤状態にある子供の心は、その辛く苦しい葛藤状態から逃れたいと思い、父親が示した兄という理想像に自分自身を当てはめ、禁止事項を守ろうと心に誓うわけなのです。

 

これらの心の一連の流れのことを、私達は「昇華」と呼んでいます。

 

道徳とは、父のしつけと、母の愛・・・離反と帰属の葛藤により、昇華された、精神の理想像というわけなのです。

 

これらの道徳教育は、なにも家庭だけで行われているわけではありません。

 

一般社会の中にもこれらの道徳教育はあります。
最も有名なのは、宗教になります。

 

宗教ではご存知の通り、神様がいて、天国があって、地獄がありますよ、となっています。
世界中のどのような宗教でも構図としてはこうなっているはずです。

 

家族がやっている道徳教育を宗教に当てはめますと。まず父のしつけは子供に恐怖を与えますので宗教では地獄になります。母の愛は子供に安心や暖かさを与えますので天国になります。そして人としての理想像を与えるのが、神様の教えとなるわけなのです。
宗教の道徳教育では、まず人としてやってはいけない禁止事項をした場合は地獄に落とされ永遠の責め苦を味あわせられますよと恐怖を与え、もう一方では私達の世界には天国というものがありそこへ行けば永遠の幸福の中で生きられますよといい。禁止事項をめぐって恐怖と愛の離反と帰属と生み出し、神様が説く理想の人として生きることが葛藤状態から抜け出す唯一の道とし、昇華を促すわけです。

 

私達人間は、まず子供時代に両親から道徳を教わり。(片親しかいない場合は、通常両親を1人で演じています。)
大人になってからは宗教から道徳を学び、人として理想の人であろうと務めようとするわけです。

 

しかし、このブログをお読みの方々はもうお分かりでしょうが。
宗教はもうすでに科学によって、神の存在や、天国、地獄の存在を否定されてしまっているのです。
このため大人世界の道徳教育は、もはや息絶え消滅しようとしているのです。

 

そこで必要となるのが宗教に代わって、人々に道徳教育をするためのシステムというわけなのです。
そして、それがビジネスモデルであるというのが、このブログの主旨となるわけです。

 

では具体的にどうすればいいのかとなりますが、そちらはまた次回にしたいと思います。

 

 
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プロフィール

smith339

Author:smith339
経済問題全般の記事になります。

スミスという名前の由来は、近代経済学の父と呼ばれるアダム・スミスから頂きました。
アダム•スミスは輸出によって得た金や銀などの貴金属こそが富だとする重商主義に反対して、庶民の必需品や便益品こそが富だと訴え国富論を発表しました。ようは低賃金低コストで輸出を増やし貴金属を国家に溜め込む事が富ではなく、自由な経済活動により多くの人にお金を回るようにし、庶民が必需品や便益品を手にする事が出来る様にする事が国の富だと考えたわけです。
私はアダム・スミスの考え方に賛同し、敬愛する者として、スミスの名をお借りすることとしました。

こちらはAmebaブログのリブログになります。

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